この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

のがあったでしょ うが 、 この銀難が母の心を玉にしたのだ、と思いました。 自分のお腹 を痛めた子をいとおしいと思わぬ母親はありません。それは人間、いや動物すべてに共 通した本能と いっても よ いのではないでしょうか。そうした美しい本能は、たとえ我が子が健常であ ろうとなか ろうと 、 変わらないものです。 もし生まれた子が這うこともままならず 、立 てない 、 歩けない 、 そして 口 もぎけない子であったら 、 母親は一体どうするでしょう。お そらく 、 その母親は我が子の将来を案じながらも 、 歩けるように 、 口 がきけるようにと神仏に祈りをささげ 、良 医を訪ね 、 良薬を探し求めて無我夢中になるはずです。 たとえ他人がど 思お うが 、 どう見ようが 、愛し い我が子のためなら一身を投げうってでも 何とか してやりたい、それが母親の愛情というものではないでしょうか。 そうしたまことに強い愛情をあふれるほど持ち 、 そして強く生きてき のがこのお母さんだ たの です 。それも一 人ではありません 。家族六 人中、その半分に当たる三人の子 、そろって重度の脳性 麻痺という家庭なのです。小さな狭い家に家族六人が寝起きし、そのうち三人は立ち上がることもか なわぬ重度心身障害児なのです。そんな暮らしは健常者の一家では想像もつかないことです。 しかし、これは作り話でも、夢 の 中 の出来事でもあ りません。私の住む、鹿児島県内の小さな町で 実際にあったこ なのです。 この目で見て 、 それからこの母親を見ていた町の人たちの話を聞いて 、私は つくづくこの I I 母"の 18

RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz