この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

く第 1 章> 天使の「三姉妹」 父は網元でしたが 、 私たち八人の子どもた 小さい上に身体 が丈夫でなかった私は 、何 度も死にかけたりしました 、ど うにか生きてきました。 母が亡くなったのは八歳のとき 。 四人につ いで五人目の子を出産しようとし えると弛緩性出血でした。 近くに医者を開業していた叔父がいたので ったのがいけなかったのです 。 夜半、寝ている間のことでした。起きてみたら 、 母の顔には白布がか かり、香があたり一面にたちこめていました。 今でもそのときの光景は私の脳裏を離れません。私が将 9 と決 意したのはこのときではないでしょうか。一日も早く立派な なくしたい。それが母とともに死んだ弟に対する責務のような 人生の進路を選択するとき、まずたいていの人は迷うのではないで れそうな気のする若いときは 、 なおさらです。その点、私は母の死という厳粛な事実によって瞬時に 進路を決めてしまいました。産婦人科医以外に考えられなかった です 一 瞬時とは 、 いささか軽率にすぎると思われても仕方ありません。しかし 、 それほどに母の出産の死は 、 31

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