この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

した。 さて、それはともかく 、 そうして開業した後に、私にとっては赤痢事件以上に忘れられない出来事 がありました。それをお話することにしましょう。 それはある寒い夜のこ でした 。顔見知りの助産婦から往診を 依頼されました。ど うやら難産の よ うです。今でこそお産は病院でするものとい う考えが一般 的になって きましたが 、 当時はどの妊婦も 自宅で助産婦を呼んで分娩するもの、と相場 は決まっていました。 私たち産科医にお呼びがかかるのは、助産婦の手に負えない難産 のときだけです。はじめから 私た ちのところに来るのはハイカラというより、女として大附臆病だ I . といわれていたのです。つまり お産で医者にかかるのは、女の恥だ ことです 。とにかく 、そのお呼びがかか ったので 、当時の 私の唯一の足であったマイカー(自転車)に産科用の器械一式を積み込み、お っとり刀でかけつけま 患家に足を踏み入れてみると、妊婦は遷延分娩のため大変な苦しみようでは ありませんか。 胎児の かん L 心音も不整で非常に危険な状態だった で鉗子分娩により胎児を娩出させること にしました。 無事に 娩出させたものの呼吸がなく 、 心音もかすかです 。これは:• …というので、急ぎ人工呼吸 やその 他の 処置を施し、や っと蘇生に成功 し、面目をほどこしました 。 赤ちゃんは女児で丸々と太ったいい子でした。当時のこととて鍋に湯を沸かし、 それで器械を消毒 するという 、 今の若い産婦人科医が聞いたら蓋くような不完全さの中での娩出成功です。しかも難産 36

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