この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

もは仮死分娩による脳細胞の酸素欠乏が原因した脳性麻痺か、精神薄弱児としての運命をたどってい たとは 1 ゜ 私は、大きな大きなツョックをかくしきれませんでした 。 いかに ベス トを尽くしたとはいえ、その子が精薄者になったのでは結果として何にもなりません。 医師としての責務を果たしたとしても、それは本人や家族の一生涯の悩みであり苦しみです。それに 手を貸した医師としても罪の一端を負う気持があるのは当然といえます 。産 婦人科医にとっては出産 は喜び の ドラマであると同時にまた苦しみのドラマでもあるのです。すべてが喜びのドラマであって 欲しいと願わぬ医師はいません 。 しかし、一 00 %そうでな いのは、また厳しいこの世の現実でもあ ることを我々産婦人科医はよく知っているのです。 長々と私の生い立ちや開業のいきさつを述べたのは一産婦人科医に過ぎない私がどうして三姉妹と 出合い、彼女ら 含めた多くの恵まれぬ人のために何か やらなければ . . . . .. と思い立つまでの軌跡 というかい きさつを 知っていただ き たかったからです。 三姉妹に会うまで 、 そしてその後、運命的な二度目の出合いをした精薄の女の子を知るまで 、私の 内には「身障者」という人々に対する関心はまったくといってよいほどありませんでした。それは当 時の医者仲間の多くが同じでした。 その私が運命にもてあそばれた不幸な人々に関心を持ち、そして何かをしなければ……と思い至る 38

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