昭和38年、重症心身障がい児の三姉妹に救いの手をさしのべた
1人の産婦人科医の善意が「おぎゃー献金」の始まりです。
鹿児島県伊佐市(旧大口市)で産婦人科を開業していた遠矢善栄博士(当時・日本母性保護医協会 鹿児島県支部長)が、近くに住む重症心身障がい児の三姉妹と出会い、何とか救済してあげたいものと色々手をつくされましたが、当時一部の軽症者を除いては、重症心身障がい児収容の道は固く閉ざされていることを知りました。
そこでこのような子どもたちに少しでも救いの手をさしのべたいと考え、健康な赤ちゃんを生んだお母さま方と、出産に立ち合った医師や看護師たちが「愛の献金」をと発案されたのがこの運動の発端でした。
遠矢博士の提案により、当時の日本母性保護医協会鹿児島県支部ではこの運動を『おぎゃー献金』と名付け、早速昭和39年1月から県内で運動を開始しましたが、さらに全国的に広めたいと、日産婦医会本部に提案しました。そこで昭和39年3月開催の定例総会にはかったところ、満場一致で可決され、その後実行に移すための具体策を検討し、同年7月1日、東大分院講堂において『おぎゃー献金全国運動発足の集い』を開催しました。このとき、高島忠夫氏夫人寿美花代さんが第1号の献金をして下さいました。
現在、おぎゃー献金発祥の地である鹿児島県伊佐市の遠矢医院跡地には、遠矢先生没後17年忌およびおぎゃー献金45周年を迎えた事を記念した、寺尾俊彦理事長(当時)の筆による記念碑が遺族・鹿児島県産婦人科医会・関係者によって建設されています。また同敷地内には、伊佐市子ども交流支援センター 笑(すまいる)も整備されました。今後この地は、おぎゃー献金の精神と日本の周産期の聖地として永遠に護り続けていきます。
寺尾俊彦理事長の筆による記念碑 |
伊佐市子ども交流支援センター |
同敷地内にあるおぎゃー献金記念堂 |